原産と来歴


  • ヨーロッパ系のオウトウ
  •  甘果オウトウ [西洋実桜 (セイヨウミザクラ)]
  •  イラン北部からヨーロッパ西部にかけての山地が原産地とみられ、今でも野生のオウトウがある。 また、甘果オウトウの原種の分布はペルシャ(現イラン)北部、コーカサス山脈の南部、スウェーデン、イタリア、スペインに及ぶとされています。
  • 現在はイタリア、ドイツ、フランス、およびアメリカ合衆国西部(乾燥)のオレゴン州、カリフォルニア州、ワシントン州、東部(多雨)のミシガン州、ニューヨーク州などで多数の品種を栽培しています。

  •  酸果オウトウ [西洋酢実の実桜 (セイヨウスミノミザクラ)]
  •  黒海からトルコのイスタンブール辺りにかけてが原産地とみられ、コーカサス地方は多様な果樹のふるさとであり、甘果オウトウや酸果オウトウの野生種の原生が、多くの人により確認されています。 また、酸果オウトウは黒海沿岸地方からイスタンブールあたりが原産地であろうとされていますが、酸果オウトウのなかのマラカスカチェリーは、オーストリアから南部ドイツにも野生しており、かなり原生範囲広いのではないかと推測されています。 また、酸果オウトウは、前史時代に甘果オウトウの偶発実生から発生したのではないかと述べられています。
  • 酸果オウトウは病害虫に犯される心配がなく、乾燥にも日陰にも強い性質を持つため、アジア西部の乾燥地帯では今でも重要な果樹となっていますが、食酢や果実酒用に人気があるくらいで、日本ではあまり栽培されていません。


  • 東アジア系のオウトウ
  •  中国オウトウ [支那の実桜 (シナノミザクラ)]と白花シナノミザクラとが知られているが、いずれも原産地は不明。
  •  中国では、漢名の桜桃がこのシナノミザクラを指すように、中国全土にわたって古くから栽培されていたもようで、前漢時代(紀元前206年〜8年)頃から宮廷の果樹として特に重要視されていたといわれます。 しかし、中国における桜桃はユスラウメとの混同があったことも指摘されており、詳しくは解明されてはいませんが、これに類似したものは中国以外で見つかっていないことから、中国内のどこかに原産地があり中国において選抜などが行われ、その結果、今日のようなシナノミザクラが残されました。


  栽培の歴史


  •  オウトウの栽培が何世紀頃から行われていたのかを示す記録は見つかっておらず、推測として、上古時代には、北部温帯地方一円にオウトウが野生し、これらの果実(種子)が人間や鳥獣などによって方々に伝播されたのではないかとされており、ブドウなど人間との係わり合いの古い果実(木の実)は、原生中心地から西へあるいは東へ伝播され、それぞれ長年の間に微妙な変化をしながらある地域に定着しているが、オウトウの栽培も同様に広がったものと推測され、これらを裏づけるものとして、スイスの湖棲民族の遺跡や、南ヨーロッパの前史時代の地層堆積物から古いオウトウの核(種子)が発見されています。
  •  栽培の歴史について記録がやや確かなのは酸果オウトウで、原産地はアジアであり、ここからギリシア・ローマに伝えられたと思われ、ギリシアが小アジアから輸入栽培したのは事実のようで、テオフラストスが書いた『植物の歴史』のなかにオウトウの記事があるといわれます。

  • 諸外国の栽培史
  •  ヨーロッパにはオウトウ栽培について古い歴史をもつ国々が多いですが、なかでもイタリアには、ローマ帝国時代(紀元前65年頃)、ルカルス将軍がセラサスでみつけたという酸果オウトウの栽培普及記録があり、その後、ヨーロッパ各地に広がったといわれ、ドイツやイギリスでもローマから輸入したオウトウを増植し、更に品種改良も行われたようで、16〜17世紀頃にはオウトウに関する著書が発行され栽培も盛んになったといわれます。
  •  アメリカにおけるオウトウ栽培は、北アメリカに移民したイギリス人、オランダ人によって始められたという説と、同じくフランス人移民によって始められたという説があり、アメリカにおけるオウトウ栽培は、果樹の中でも古い歴史をもち、18世紀のはじめにはカリフォルニアやオレゴンに大栽培地ができ、熱心な研究者により台木や新品種の育種栽培が行われ、19世紀にアメリカのオウトウは著しく発展しました。
  •  中国では甘果オウトウ・酸果オウトウのほかに、中国オウトウ(シナノミザクラ)、毛オウトウ(ユスラウメ)が果樹として取り扱われており、中国オウトウは前漢時代から宮廷の果樹として特に重要視され、現在でも長江流域、大炮山麓に野生林があるといわれます。

  • 日本の栽培史
  •  オウトウは本来、日本在来の果樹ではなく、1872年(明治5年)に北海道開拓使がアメリカから25品種のオウトウを導入したのが最初で、また、1873,1874年(明治6,7年)頃に勧業寮派遣の中国農事視察団の一行が桃苗木と一緒に持ち帰ったシナノミザクラ(中国オウトウ)が導入され、1874,1875年(明治7,8年)頃には政府がアメリカ・ヨーロッパから多数のオウトウ品種(甘果オウトウ・酸果オウトウ)を導入し、三田育種場において苗木を養成し、これを東北・北海道やその他の諸県に配布し栽培させた記録があり、その後、政府や民間人の努力により、諸外国からオウトウの輸入が行われ、東北・北海道・甲信地方で栽培が普及しました。
  • 日本独自のオウトウ品種は1910年(明治43年)に「北光」が発表され、1912年(大正元年)に「佐藤錦」が発表され、1975年(昭和50年)以降、佐藤錦の本格的な栽培が行われています。
  • オウトウの歴史と分類   執筆 渡部俊三 参考