葡萄の来歴

  •  紀元前8000年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ(現代のヨルダン、テル・アスワド)の遺跡から葡萄が西アジア初期農耕文化における果実類として検出されています。
  •  紀元前3500年頃、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えたメソポタミア文明(現在のイラク・クエート占めるバビロニアの南半分の地域)のシュメール人によって楔文字(くさびもじ)が作られ、「葡萄の実が垂れ下がっていて青葉が付いているのを眺めるのは心地よかった」と葡萄という言葉では一番古い記録が残され、それ以前の長い歴史的事実として人々の生活の中で大切な植物であり、食べ続けられて来たようです。
  •  その後、カナン(地中海とヨルダン川、死海に挟まれた地域の古代地名)から豊かなエジプトへ移住したセム族たちにより葡萄の栽培法や葡萄酒(ワイン)の製法が伝えられたとされ、エジプト初期王朝時代(紀元前3100年頃)の墳墓に葡萄の房を並べて埋めたあとが発見されています。
  •  紀元前2000年頃、フェニキア人(現在のレバノンに相当する地域に住んでいた人々)がエーゲ海のクレタ島や、紀元前1300年頃にはギリシア本土へと葡萄の栽培法と加工保存(葡萄酒・干し葡萄など)を伝えたことが知られていて、やがてヨーロッパへと広がって行きました。
  •  また、イラン高原あたりに住んでいたアーリア人がインドへ葡萄の栽培法と加工保存(葡萄酒・干し葡萄など)を伝えました。
  •  葡萄は、気温の変化が激しい乾燥地帯の砂漠のオアシスで生きてきた人々の生活にはなくてはならない大切な植物として栽培され、食料として生食、干しぶどうにして携帯食・保存食・物々交換の品としていたようです。 また、香辛料や調味料としても使用され、さらに、作り方が簡単で保存ができる葡萄酒(ワイン)は水分の補給としたり、疲労回復・気付け薬・食欲増進等の薬用として利用されていました。


  •  紀元前4〜3世紀頃、南ロシア〜黒海北岸(ウクライナあたり)の草原地帯にいた西方騎馬遊牧民のスキタイ人がシルクロードを横断し、東方騎馬遊牧民の匈奴に文物を伝えた中に葡萄酒(ワイン)がありました。
  •  紀元前 1世紀頃、漢の武帝が河西進出以降、多くの国使が西域(ほぼトルキスタンあたりから地中海沿岸に至る西アジア)と交流し、西域の文化とともに中国に伝わったようです。


  •  17世紀、イギリスからアメリカ北東部への入植者がヨーロッパ葡萄を持ち込み、栽培に試みたものの育たず、スカッパーノン川周辺に自生していた野性の葡萄を発見し、その後、栽培促進されました。 (マスカダイン属 スカッパーノン)


   日本の葡萄の歴史


  •  弥生時代の224遺跡中、26遺跡から葡萄類が確認されていることから、弥生時代には限られた範囲で野生の山葡萄が自生していたようです。

  栽培の始まりとしての二説
 
 中国から渡来し、法薬であるとされた葡萄の栽培を、奈良時代の718年(養老 2年)僧侶の行基が、山梨県勝沼の村人たちに教えたのが最初で甲州葡萄の始まりとされる説があります。 
 
 また、平安時代末期の1186年(文治 2年)、甲斐国勝沼の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)が旧暦3月27日お祭り参詣の後、山林で見つけ移植し栽培した。 もしくは、中国から渡来した実生の木を雨宮勘解由が挿し木で増やし栽培したのが甲州葡萄の始まりとされる説があります。

  •  いずれにしろ、葡萄の木の性質上、限られた地域以外の栽培がうまくいかず、日本国内では拡大しなかったようです。


  •  明治時代、文明開化により、フランス(ヨーロッパ葡萄)及びアメリカ(アメリカ葡萄)から数多くの品種が輸入されたが、栽培技術が進んでいなかったり、気候が不適当であった為に栽培は失敗したが、アメリカ系のヴィティス・ルプルスカだけ日本の気候になじんで、各地で栽培されるようになり発展したようです。
  •  その後、ヨーロッパ系の品種が岡山県を中心にガラス室葡萄として発展し、新潟県高田では、ワインの製造に着目して葡萄を品種改良し、日本のワイン品種として有名な「マスカット・ベリーA」を作りました。

  「葡萄のルーツ」 菅淑江・田中由紀子 共著参考